2016年5月4日水曜日

疲れていてはいけない

元々走るのは好きじゃないです。中学や高校のマラソン大会、大嫌いだった。持久力がないし、そもそも足が速くない。高校のとき100mは一度だけ12秒台で走れたことがある(たぶん追い風)。1500mはピークでも5分を切れなかったヘタレです。それが今、どうやったら速く走れるか、それもマラソンみたいな長い距離を走り切るにはどうしたらいいか考えています。人間変われば変わるものですね。競技性は二の次で、自分の体調とペースさえ考えていればいいところは性に合ってるのかもしれません。あと、走ってると頭の中が勝手に整理されてくのは好き。

インド駐在当時、サッカーチームの仲間とムンバイマラソンを走ったのは半ば成り行きでしたが、振り返ればあれがきっかけでした。大会当日まで、一度もマラソンの距離を走ったことがなくて、でも10kmを1時間、20kmを2時間で走れることは知っていたので、「42.195kmなら4時間ちょっとでしょー」と、いま思えばたいへん甘い見込みでスタートしたのでした。確かに20km地点まではその位のペースだったのですが、25km過ぎたあたりで突然足(脚)が動かなくなりました。腕も肩も痛い。結局、ゴールはしたもののタイムは5時間。「これがマラソンか…」と、疲労で動かない体を引きずりながら反省したのも良い思い出です。

週末のサッカーとテニスが生活に組み込まれていた駐在時代の体力貯金は帰国後すぐに使い果たし、「これはヤヴァい」と感じるまでに時間はかかりませんでした。引越しを機にジムに通い始めたものの、マッチョになりたいわけでないし(体質的になれない)、他のみなさんがキャッキャウフフ楽しそうなスタジオダンスも興味ない(ぼっち属性すいません)。結局、スタッフのおねいさんとスポーツ歴を雑談するなかで、「じゃあフルマラソンもう一度目指しましょうか」と、ラン中心のメニューを組んでもらいました。何日かメニューを流すと体も慣れて、今は「1時間ラン+ウェイトとストレッチを若干」が体力的に均衡して気持ちいい。

へたれランナーの自分語りが長くなりましたが、本題はここから。

メニューを組んでくれたおねいさんが中長距離の経験者で、「マラソン目指すなら心拍数気にした方がいいですよ」とアドバイスいただきました。素直な私はその日のうちに「心拍計 ランニング」でグーグル先生に問い合わせ。…いっぱいありすぎてよくわからない。海外製が多いですね。日系メーカーならEPSONでしょうか。その時、心拍計の活用方法を紹介しているこちらの記事が目に留まったのですが、内容が素晴らしすぎて、心拍計以外もブログ内のランニングに関する記事はすべて目を通しました。

マラソン・ランニング・陸上競技 | NANA's ESCAPISM

ブログ内の記述から、こちらの方は箱根駅伝の予選会20kmを、1km平均3分20秒くらいで走る中長距離ガチ勢なので、タイムとかペースとか基礎体力とかそういうのは最初から(へたれランナーには)参考にならない。でも、心拍数を客観的に練習に活かすという点はアスリートも一般人も同じなんじゃないかと思いました。ほとんど倍のスピードで走るアスリートも心拍数が一般人の2倍多いわけじゃないですから。いや、似たような心拍数で倍のスピードを出せる身体能力が凄いのか。

心拍数と主観的運動強度の関係の見える化とか、練習以前の準備とか、練習後の栄養摂取とか、参考になることが多すぎて目から鱗が落ちまくるブログなのですが、特に衝撃を受けたのはこちら。

単刀直入に言いましょう。ほとんどのランナーは、疲労を軽視しすぎています。
 「苦しんだ分だけ速くなれる」 という盲信と、「休むと体力が落ちてしまう。疲れていても、走らなければ」 という強迫観念にかられ、知らず知らずのうちに練習をしすぎてしまっているランナーがあまりにも多い。【ランニング】距離信仰に終止符を。9割のランナーが気づかない「落とし穴」【マラソン】

これもうランニングとかマラソンとか関係ないです。人生について何か示唆を得たような気さえしました。

スポーツに限らず仕事でも日常生活でも、満足を何によって得るかというのは主観で、原因から結果までのどこを重視するかは人によって様々です。宝くじのように偶然性や射幸性が高くても当選すればうれしい(outcome重視)、試験勉強のように努力が結果の前提となっているものは合格すれば努力した過程も含めてうれしい(consequence重視)。どっちもうれしいですが、後者の場合、「苦しんだ分だけ速くなれる」あるいは「苦しんだ分だけ速くなれなければ納得できない」という思い込み(盲信)があるように思います。むしろ肉体的にも精神的にも「苦しむ」こと自体が目的=満足になってしまうことがある。

性格的にややマゾヒスティックな部分を自覚している私は、そういう傾向が強いのかもなぁ、マゾヒスティックさが外側に向かったらそりゃサディスティックだよなぁ、今まで周りの人に「苦しむ」ことを押し付けていたかなぁ、などと人知れず反省。さらに、「苦しんだ」結果生じた「疲労」については、その軽重など考えたこともなかったことに気が付きました。放っておけば治ると。

そうじゃない、もっとも重要なことは、”疲労回復に着目すること”なんだ、ということを、武井壮さんの言葉を通してこのブログは教えてくれました。

武井壮も疲れるんだなあ、と感じた1日だったけど、オレの特技はそっから誰よりも早く回復すること だ。。。鍛えるより治す方が時間がかかるんだからよ。。そこを早めりゃ誰より早く辿り着く。。トレーニングの極意はそこにあるよな。。1番強くなるのは1 番速く回復するヤツだ。。勝負は才能じゃねえ!— 武井壮 (@sosotakei) 2015, 5月 25

競技的には、練習量やペースを落とし、練習後に糖質・たんぱく質を十分に摂取することが正解になるわけですが、気持ちの面からグサッときたのはこちら。引用します。

あなたは自身の自覚している実力と実際の自己ベストとの間にギャップがあり、焦りともどかしさを感じているのではないでしょうか。
そこで練習量を増やすことに逃げないでください。一旦落ち着いて、自分自身を俯瞰し、「身体を回復させる」という意識をきちんと持てているか、自分に問いただしてください。
疲労を溜めすぎないようにすることで、自身のコンディションを俯瞰できるようになり、 自分が考える「すべてが上手くかみ合った状態」を自らの意思で作り出せるようになります。
そして結果として、「自分が感じている実力」の通りの タイムでマラソンを走れるようになるのです。【ランニング】距離信仰に終止符を。9割のランナーが気づかない「落とし穴」【マラソン】


人生をマラソンに喩える方が一定数いらっしゃるのが体感として理解できました。それだけトシをとったということでしょうか。実年齢的にはそろそろですが、「不惑」まで何と遠いことか。

実力と自己ベストのギャップへの焦り、練習量を増やすことへの逃げ、回復させることへの無頓着…。ランニングを始めた時は、こういった一般論に気づかされるとは想像もしていませんでした。気づいたら当たり前ですが、仕事もプライベートも疲れていたら良いパフォーマンスなど出せるわけないのですね。このブログにたどり着いたことだけでも、ランニングを始めて良かったと思います。より速く走るために、これからは回復重視。疲れていてはいけない、そう思いました。今日は休日、20km走れたらいいなと思いつつ。

p.s.
心拍計は、新機種が出て型落ちして安くなっていたGARMINのForeAthlete® 225Jにしました。ウェブ上に走行データを取り込めるソフトウェアが秀逸ですね。どこをどのくらいのペースでどのくらいの心拍数で走ったかがチャートで見れて、ビジュアル的にすごくわかりやすいです。